agijimaの球陽関係についてのべる。

[本文0175]【三十五年、家来赤頭阿擢、王の養父と為り家門を興す。】成化年間、阿擢(花城親方寸知)、具志頭郡より首里金城邑に来り、館を借りて宿居し、家来赤頭職を勤む。其の時、尚円王、世子真公を降誕す。筮ト皆占ひて曰く、吉月吉日吉時を択び、城を出で南に向ひて過ぎよ。始めて逢ふの人、貴賤を論ぜず、世子の養父と為さば、万寿疆り無く千福窮り無しと。尚円王、占言の如く、近習の臣に命じ、世子を扶持して島添の路を経過せしむ。偶々阿擢に逢ふ。近習官、即ち阿擢を招き、城に進みて以て奏す。王、阿擢に命じて世子の養父と為らしむ。阿擢、誠に惶れ誠に恐れ、上言して請奏するには、臣、窮巷の中に生れ蓬茨の下に長じ、游観広覧の知無く、至愚極陋の累有りて、厚望に対へ明旨に応ずるに足らず。然りと雖も、君命は大なること天の如く、重きこと山の如し。辞せんと欲して辞し難し。恭しく嘉恵を承け、陞りて養父と為らんと。此れより阿擢、日ごと世子の万福を願ひ、旧の如く赤頭職を勤む。後、王既に薨じ、世子位を嗣ぐに至り、諭して仕籍に登せ、地を金城邑に卜して家宅を賜ひ、並びに具志頭郡花城地頭職を授く。其の後歴履して官に陞り、終に紫巾官に至る。正徳辛未、阿擢、奏請すらく、臣病日に重く将に以て世を辞せんとす。願はくは故園に帰り、父母の墓に葬られんと。王、勅命すらく、養父よ、憂ふること勿れ、慮ること勿れ。万に一死有れば、即ち官府をして葬殯の事を司り、且公財を発して以て葬埋の礼に備へしめ、故園に帰して父母の墓に葬らしめんと。阿擢、稽首頓首して隆恩に拝謝す。数日を経ずして六月十三日卒す。此の時、識名橋は暴雨の為に壊され、往過する能はず。聖主、急ぎ輔臣をして識名橋を修造せしむ。輔臣、一夜二昼にして修造全く竣る。且阿擢出葬の日、御紋の御徳盆を賜ふを蒙る。已に命じて曰く、後来祭祀の時、必ず此の盆を用ひよと(今、此の盆猶存す)。已に葬行の日に当り、聖主甚だ哀しみ、島添阿佐那に登りて其の葬行を見、哭泣甚だ極まる。是に於て龕、識名邑の前に停まり、以て聖主の一哀慕を慰め、暫時にして具志頭郡に送去し、那宇島に葬埋す。此れ誠に千歳の奇遇にして家門の栄光なり(今、田舎の俗に、龕中途に停るを死者島を見ると謂ふこと此れより始まる)。

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